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梨田昌孝 Masataka Nashida梨田昌孝

梨田昌孝(写真)

生年月日
1953年(昭和28年)年8月4日
出身地
島根県浜田市
出身校
浜田高校
球歴
1972年(昭和47年) 近鉄バファローズ入団(ドラフト2位)
1988年(昭和63年) 現役引退

現役時代の17年間

実働年数 17年
通算成績 1323試合  3444打数  874安打  113本塁打  打率.254
初出場 1972年 7月 2日
(昭和47年)
対阪急 12回戦 5番中堅手 (日生)
初安打 1972年10月16日
(昭和47年)
対南海 26回戦 5回江本 (大阪)
初本塁打 1973年 8月19日
(昭和48年)
対南海  5回戦 4回佐藤 (大阪)
初打点 1973年 6月19日
(昭和48年)
対阪急 11回戦 7回米田 (日生)
初盗塁 1973年10月 2日
(昭和48年)
対太平洋  9回戦 二盗 (日生)
1000試合出場 1984年 6月14日
(昭和59年)
対ロッテ 15回戦 (金沢)
100本塁打 1985年 7月11日
(昭和60年)
対日本ハム 13回戦 (後楽園)
ベストナイン     3回 1979年、80年、81年
(昭和54年、55年、56年)
ゴールデン
グラブ賞
    4回 1979年、80年、81年、83年
(昭和54年、55年、56年、58年)
オールスター
出場
    7回 1979年、80年、81年、82年、83年、85年、86年
(昭和54年、55年、56年、57年、58年、60年、61年)
リーグ優勝     2回 1979年、80年
(昭和54年、55年)


引退後の活動

1989年〜1992年
(平成元年 〜平成4年)
NHKプロ野球解説、 日刊スポーツ野球評論家
1993年〜1994年
(平成5年 〜平成6年)
近鉄バファローズ作戦バッテリーコーチ
1995年
(平成7年 )
近鉄バファローズバッテリーコーチ
1996年〜1999年
(平成8年 〜平成11年)
大阪近鉄バファローズ二軍監督
2000年〜2004年
(平成12年 〜平成16年)
大阪近鉄バファローズ監督
2005年〜2007年
(平成17年 〜平成19年)
NHKプロ野球解説、日刊スポーツ野球評論家
2008年〜2011年
(平成20年 〜平成23年)
北海道日本ハムファイターズ監督
2012年〜2015年
(平成24年 〜平成27年)
NHKプロ野球解説、日刊スポーツ野球評論家
2013年
(平成25年)
2013WBC 日本代表野手総合コーチ
2016年〜2018年
(平成28年〜平成30年)
東北楽天ゴールデンイーグルス 監督
2019年
(平成31年〜)
NHKプロ野球解説、日刊スポーツ野球評論家

リーグ優勝 2回 2001年(平成13年) 大阪近鉄バファローズ
2009年(平成21年) 北海道日本ハムファイターズ
クライマックス
シリーズ優勝
1回 2009年(平成21年) 北海道日本ハムファイターズ
クライマックス
シリーズ進出
4回 2008年(平成20年) 北海道日本ハムファイターズ
2009年(平成21年) 北海道日本ハムファイターズ
2011年(平成23年) 北海道日本ハムファイターズ
2017年(平成29年) 東北楽天ゴールデンイーグルス


監督通算成績

805勝 776敗


出版関係

ベースボール・マガジン社

「梨田昌孝の超野球学」※
「戦術眼」※
「近鉄バファローズ猛牛伝説の深層」

※印の書籍につきましては、すでに出版元に在庫がございません。



梨田昌孝講演タイトル・内容

自己と組織の育成法:梨田流コミュニケーション術

2004年、後に「球界再編」と呼ばれる大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併が起こりました。当時、大阪近鉄バファローズの監督を務めていた私は、球団が消滅する形でユニフォームを脱ぎました。
その後、2008年から11年は北海道日本ハムファイターズ、2016年から18年は東北楽天ゴールデンイーグルスの2チームで監督として指揮を執る機会に恵まれ、3球団で監督として805勝776敗の成績を残すことができました。
この間、プロ野球界では、私の現役時代には予測できなかった様々な変化が起こり続けています。半世紀近く私が選手、そして監督としてプロ野球に関わったそれぞれの時代、チーム、選手の特徴を解説しながら、それぞれの環境にどのように対応してきたのか、私が大事にしてきたコミュニケーションと自己と組織の育成に焦点を当てながらお話しいたします。

キーワード:

プロ野球、コーチング、コミュニケーション、チームマネジメント、モチベーション、リーダーシップ